小林稔元調教師が、今年の1月27日にお亡くなりになっていた。
享年、82歳。心筋梗塞だったという。
わたしがその死を知ったのは、4月1日。
藤田伸二騎手への取材のあと、四方山話をしていたことから先生の話題になった。
知らなかったわたしは、ただただ驚くばかり。
健康には人一倍気を遣っていた人なだけに、もっともっと長生きされるだろうと思っていたからだ。
4月15日、ご自宅へ伺った。
友子夫人によると、亡くなる前夜は深夜1時頃までテレビを観ていて、翌1月27日、友子夫人や同居している娘さんご家族が起きた頃はまだ寝ていらしたのだという。寝ているのを起こされると怒る人なので(先生らしい・笑)そのままそっとしておいて買い物に出かけたそうだ。お昼過ぎに戻ってきたが先生はまだ寝室から出て来ておらず、あまりにも起きてくるのが遅いといぶかしんだご家族が先生の寝室を覗くとうつぶせにして亡くなっていた。
医者の診断によると、目が覚めて布団の上で体を起こし、体の向きを変えた瞬間に心筋梗塞を起こし、そのまま前へ倒れ事切れたのだろうという。苦しむこともなく、瞬間的に息を引き取っただろうとのことだった。その死に様は、闊達で何でもテキパキしていた人らしい気がする。
お葬式は、家族だけで営んだそうだ。これは先生ご自身の意向で、調教師現役時代から「死んだら、その時は家族だけで見送ってくれ」と言い続けていたらしい。
わたしが初めて小林先生にお会いしたのは、もう15年ほど前になる。厩舎の前庭には何本もの竹が植えてあり、「厳しい勝負の世界での破竹の勢いを祈願して」とのことだった。その時の力強い口ぶりが、いまも耳に焼き付いている。
ロンググレイスやタケノベルベットでのエリザベス女王杯、スズカコバンでの宝塚記念、そしてフサイチコンコルドでのダービーなどを制し、名伯楽と謳われた。風貌そのままに頑固一徹な人であったが、だからこそこだわりを持って数々の成功を収められたのだと思う。
藤田伸二騎手と話していた時、デビュー2年目でエリ女を、5年目でダービーを小林厩舎の馬で勝っている彼は「経験の浅い僕に、よく乗せてくれたものだ」と言っていた。
その話をこちらから向けたわけではないが、友子夫人がふと、彼のことを話題に出した。
「競馬場の調教師席にジョッキーが入って来ることはまずないんですが、ある日、一人の騎手が入ってきたそうです。それが、デビューしてまだ2年目の藤田伸二くん。主人は『度胸のあるやつだ』と感心していました」
厩舎には取材でよくお邪魔した。先生とチャーミングな友子夫人との軽妙なやり取りも楽しかったし、甘いものが好きな先生におはぎなどごちそうになったことも何度もある。先生と一緒に厩舎周りを歩きながら取材したことも思い出される。こちらは息を切らしながら同行するのだが、先生は汗ひとつかかずに緩みのない速度で歩きながら馬の動きを見、取材を受けてくれていた。
先生の、定年引退の際の引退式は中京競馬場で行われた。先生が開業した当時、トレセンはなく、厩舎は各競馬場にあり、先生は中京競馬場で開業したのだった。その出発の地で最後を迎えたいというのが、先生の意向だった。時を同じくして騎手を退いた南井克巳さんもやはり中京競馬場が騎手としての始発点で、引退式は一緒に中京競馬場で行われた。その時の司会はわたしで、調教師と騎手、どちらも大御所でその記念式典だっただけにやけに緊張したのを覚えている。
友子夫人によると、その式典のビデオが送られてくるまでにけっこうな時間を要し、しびれを切らしていることを何かのパーティで会ったわたしにこぼし、わたしがすぐに手配してご夫妻のもとへお送りしたという。わたし自身は記憶から抜け落ちていることだが友子夫人は「あの時は主人と一緒にとても喜んだ。ありがとうございました」と何度も何度も言って下さって、少しでもお役に立てたことがあったのだと嬉しいようなホッと安心できたような気がしたものだ。
先生が引退された1999年、わたしは初めて本を出版した。「栗東厩舎探訪記」がそれで、梅田のジュンク堂でした記念トークショーには先生にゲストとしてお越し願った。立ち見が出るほどの盛況だったうえ、本の売れ行きはジュンク堂の週間ベスト10に入った。競馬の世界が右肩上がりで隆盛を誇っている時だったとはいえあくまでも一分野の業界であり、わたしも書き物を始めてそう間もない頃に書いたもので、それが大書店でベスト10入りできたのは、先生がご出演下さったおかげだといまでも思っている。しかもその日、友子夫人は素敵なスカーフを記念にと下さって、それはいまでもわたしのお気に入りの一枚である・・・いろんな思い出が走馬灯のように駆け巡る。
そのなかで最も印象が強いのは、いつだったかご自宅へ電話した時のことだ。電話口に出たのは先生ご自身で、以前通りの力強い口ぶりだった。
「先生、お元気ですか」
「おお、生きとる!!」

<1998.11.4撮影 / 週刊競馬ブック「芦谷有香の栗東厩舎探訪記」より>